shantae
11/26(木) 晴れ(ポカポカ陽気)

ヤバイ、久しぶりに超ほしいゲームと出会ってしまった。
といってもゲームボーイ・カラーのゲームで、海外発売のみ。
さらに十年前。
レイティングは9点台で、amazonでみたら100ドル超えてるし。
e-Bayでも、ハコ無しなのに60ドル以上になってる。
なにげにレアな人気アイテムらしい。
タイトルは「shantae(シャン ティ と発音していた)」
任意の横スクロールアクションゲームだ。
主人公はアラビアン風な女の子。
これがリップされたスプライトデータで見て、一目惚れ。
かわいいし、枚数が多い!
さっそくyoutubeで「shantae」で調べる。
ゲームの通しプレイがアップされていて一面を見る。


なにこの出だし。
ときめく。最高!
ほしい! やりたい!

さらに調べたら


なんかいろいろできるみたい。
変身するし、踊りはなめらかすぎるし、、ホントにGBカラーですか?これ。

アドバンス版のベータ版なんかもアップされてたけど、これはバーチャルコンソールで出ないかのう。
海外でレア扱いなんで、国内では限りなく入手の可能性が低い…。
とりあえず動画見てガマンするか。

<今日の判定> △+
なんだろうね。
ゲームに一目惚れは久しぶりですよ。
【2009/11/27 00:18 】 | ゲーム関係 | コメント(0) | トラックバック(0) |
不調の原因
11/25(水) 晴れ(今日はかなりあたたかい)

ここのところ不調続き。
特に午前中の昼前が悪い。
簡単に切れる。落ちる。
つながらなくなる。

そう、ネットのことです、はい。

ルーターとBフレッツの端末ともに電源を落とせばおおむね立ち直るが、それでもすぐにダメになる場合も目立ってきたため、思い切ってNTTに電話。
ルーターが原因じゃないのに新調して改善されなかったらやるせないではすまされないが、予想ではルーターだろうとふんでいた。
ただ念のため問い合わせる。
そしたら不具合が出ているとのこと。
回線が不安定で時折つながらなくなっていたそうだ。
なんという!

というわけで、明日修理に来ることになった。
本当にBフレッツ端末が原因なのかいまひとつ信じ切れないが、不安定要因が除去できれば御の字。

<今日の判定> △
それにしてもあたたかい。
ここ数日、かじかむ寒さだったからよけいだ。
来年早々、事務所の更新手続きが待ちかまえているので、ますます財政はシベリア状態に。
なんで二ヶ月分の家賃を払わなきゃならないのだろう。
泣ける。
【2009/11/25 21:25 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
むらさきいろのそら
11/24(火) くもり一時雨(また寒くなった)

忘れられない記憶がある。
幼稚園時代、わたしは空をムラサキ色に塗った。
なぜその色にしたのかはわからない。
覚えているわけがないし、第一幼稚園児の考えることはときおり常軌を逸することがある。
おそらくそのたぐいだろう。
しかし年配の女の先生に「ムラサキは不吉な色だから、白く塗りつぶしなさい!」と完全否定された。
自意識なぞ目覚めるはるか前ゆえ、言われたとおりに白をかぶせていく。
水彩絵の具は下地を完全に隠蔽できるものではないため、ますますおかしなものになってしまった記憶。
たぶん青をさらに塗ったため恐ろしく濁った、筆洗いのバケツの水の様相だったと思う。

先日、何気なくつけていたラジオで、やはり小さな頃に自分で塗った色に対して頭ごなしに塗り直しを命じられたはがきが読まれていた。

いわゆる才能ってのは、だれにもそれなりに最初は平等にあるのではないかと思う。
見よう見まねで何かを覚えていくわけで、何も見ないで知らないでいきなりできるのは、もはや才能というより超能力だろう。
そしてその才能に気付き、開花させるべく導いてくれる存在に出会えたか否か。
それは両親であったり、先生であったり、近所の人だったり。

残念ながら、わたしを導く人はいなかった。
両親は絵心が全くないし、芸術系には一切関心がない。
出会った先生たちも残念ながらそっち方面ではなかった。
習い事教室にもいかなかった。
専門教育を受けるという選択肢を考えもしなかった。

幼稚園児時代の自分の絵を数年前、母から見せてもらった。
小学校に上がる前に描かれたニワトリには、キチンと羽根の模様が、蹴爪がつたない筆で再現されていた。
もう一枚は亀。
なぜか横向き(やや俯瞰気味)で亀甲模様や手足のウロコを再現してあった。
どうやらみたままを描くという習性があったようだ。
たぶんウルトラマンなど怪獣ものが好きだったため、なるべく似せて描きたくて、それが図工の時間に出ただけに過ぎない。

ただ自身で思うのは、子供の構図じゃないという驚き。
もっとも、それを褒められた記憶はない。

導いてくれる人物と出会えなかったことは、今思うと実に残念でならない。
しかし師事すべき人物と出会えなかったことは不幸なのだろうか?

いやいや。
案外、美大受験で何度も失敗しておかしくなっていたんじゃないかな?と思ったりするシニカルな自分がいる。
ifの方がよさそうと思ってもそれは完全に架空の想像で、しかもプラスイメージのバイアスがかかりまくっているから、考えても仕方ない。

自分は出会えなかったからこそ、自身は導く側に立ちたい。
「おまえさんはけっこうイケるんじゃないか?」と助言するだけで、当の本人は気付いていない能力が開花するかもしれないから。

<今日の判定> △
三十有余年を経てムラサキ色の空を描いたよ、今やっているモバイルゲームに。
今度も「いや、これはマズイです」と言われなきゃいいが…。
【2009/11/25 01:08 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
誤解はある日突然に
11/23(月) 晴れ(洗濯日和)

勤労感謝の日、である。
たしかに昨今「勤労できることへの感謝の気持ち」を感じざるを得ない状況だったりするので、この歳になってようやく「勤労」に対して「感謝」する意味が少しわかった気がする。

と、そんな堅苦しいことはともかく。
今日やったことと言えばメールを数件したためたくらい。
とはいえ、けっこうな長文だったりはするけど。
それ以外は、ひたすら「バニラビーンズ」をながら聞きしつつ、まったりと過ごした。

しかし、またしても自身の日記にて書き方が足りずに迷惑をかけてしまった。
当の本人が言ってきてくれたので、あわてて読み返して「いやいや、それはまったくの誤解です!」とひたすら平身低頭平謝りだったのだけど、たしかに読み返してみると「それ以外には取れない」書き方だった…。
連日の内容に目を通してようやく「そうかな?」と行間が想像できる程度。
これを「文字情報の間を読み取れ!」は無理。
昨日、上機嫌で書いた内容だったので、完全に言葉が足りなかった…。
ごめんなさい、ごめんなさい。百編謝っても気が済まないです、ほんとに。

それはあくまできっかけに過ぎず、偶然を呼び起こしただけに過ぎないわけで。
なので十年以上ぶりだった上、初perfumeだった「横浜アリーナperfumeライブ」が不愉快だったのではないんですわ…。ただその場に偶然ニアミスしかけた人がいて、お互いそれを知らなかったのに、わざわざ伝えてネタにされたのが実に不愉快だったというわけです、はい。
なので不愉快対象はニアミスしかけたことではなく、その本人にでも無く、あまつさえライブでもなく、単純に「伝えた輩」に対して、という。
実はそれすらわたしが勝手に行間を読んで(それがあったのかどうかも本当はわからない)幻想妄想がふくらみ、「このはずかしめを受けてなお国交を結ぶことに何の意義があるか!」といきり立った強硬派が自身の内側にいたためだったわけで。

これも当の本人が連絡をくれなかったら、いつのまにか疎遠になってしまうケースだったであろう。
そう思うと身震いする。

今回の一件で思ったことと、今日のお詫びには実は符合するところがある。

それは「すぐに言ってくる」か「ためにためて、あのときのおまえの行動は許せなかった」と決別間際に吐き捨てるという二極。
興味深いことにこの後者であるためるタイプは、あくまで自身が傷ついたとは言わず「オレの友人」もしくは「おまえも知っているだれかさん(でも特定は無理)」と、被害者を別途用意している点。

失言、勇み足、誤解は、その場その場でつぶしてもらうと、言った側も即反省し詫びられる。
特に無意識に、例えば今回のように自分では前後の流れがわかっているので省略してしまうような場合は、本人がわかっていないため、知らず知らずにこじれていくと「何でそうなった?」とわからず、対処のしようもない。
いわゆる「しつけ」が悪いことをしたときにするのがベストであると、聞いたことがある。
あとから「あのとき、アンタは…」と指摘されても、「しかられている不愉快さ」だけが際だち、本来しかられる原因となった行動に対して振り返り反省することができない、と。

たしかに「小さなことで、ささいなことで衝突」を避ける昨今の傾向としてわからなくもない。
しかし「言う(指摘する、怒りをぶつける)ときは終わり」ってのはどうなんだ、と。

実に表層的な関係しかできないんじゃないか?

一方では「赤の他人だから、必要以上に上から押さえつけるように、微々たるミスをネチネチいたぶる」傾向も、残念ながら目にする機会が少なくない。
客と店員の図式だと、それがより顕著だ。
日頃のストレスを目の前の凡ミスした店員にぶつけている初老の男とか、その背中には男の威厳はみじんもなく、ただただ哀れみでしかない。

それにしても、なんという偶然だろう。
似たようなケースで、完全に結果へと導かれるルートが違った。
いや、今回は明らかにわたしのミス。痛恨のミスだ。
気分悪かっただろうなぁ…。
本当に申し訳ないです。

【2009/11/23 21:59 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
これもできる あれもできる
11/22(日) くもり(昼間から息が白い)

耳心地が良く、ながら聞きにはぴったりの「バニラビーンズ」。
別にperfumeに飽きたわけではなく、ピコピコ音がいささか気に障るバイオリズムもあるわけで。
しかも今回の不愉快をもたらした一件が、くだんの横浜アリーナperfumeライブだったから、気持ちが落ち着くまではしばらくお休み。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのごとく。
いや、実際perfumeの音楽性やライブは何も悪くなく、くだらない行間を読みすぎて幻影とガチバトルをはじめてしまった自身が悪い。
で、それはともかく「バニラビーンズ」がレトロポップを主軸にしているらしい。
ビジュアルイメージからして60年代ファッション。

ピコピコ音でやはり聞くようになったYMCKはチップチューンというファミコン音源。

これは単にレトロ回帰ではなく、表現の幅としてそれを取り入れているにすぎないのが面白いところ。
当時は「それしかできなかった」から、工夫を凝らしてコナミやサン電子のようにCDでサントラが出るくらいにがんばりすぎている名曲が生まれたが、YMCKは「あえてチープな初期ファミコン風」にしている。
今やシンセ音源なんて、生音なのか打ち込みなのかわからないくらいに進化しているというのに。

これはCGでも同じことが言える。
ハイエンドでフォトリアリズムな3Dが素人でも手が届く機材で作れるようになったというのに、なぜかファミコンチックなものが出てきている。いわば、自分にとって主戦場のドット絵なんかがその最たる例だ。
当時は「それしかできなかった」が、今は「そのやり方もある」で、形を表すための表現手法としての選択肢が多岐にわたる。
見た目や音がきれいなだけで「スゴイ!」といわれていた時代は終わり、ようは上っ面のテクニックにおぼれたものではない「それと使うことで表現する」一本筋が通ったものが必要であると。

選択の幅はなにも表現の場だけではなく、人間関係にも言える。

今日、就職以来会っていなかった元塾生さんを交えてお好み焼きを食べにいった。
うちにいた期間はむしろ短い部類であるのに、妙な親近感がある。
一人でもそうだが、ここに他のメンツの要素が加わることで化学反応して、なんとも絶妙な居心地の良さを醸し出してくれる。

具体的に言えば、それぞれ抱えるストレスを順番に吐き出しスッキリするアプローチには、やはりアルコールの力が欠かせない。しらふじゃ、そんな生臭い世知辛い話は長時間聞いていられないし、第一話したところで何も解決しないという揺るがしがたい事実。もちろん誰かに話すことは重要で、それで充分な発散になるのもまた事実。
しかしだ。
このメンツが集まると、グチらしいグチはでない。
腹を割って話せないから、ではない。
目の前に焼かれているお好み焼きやもんじゃ焼きをながめながら、実に他愛もないやりとりをしている。
虎視眈々とボケを狙うようはカツカツさはない。
自然な流れで話題が出て、笑いあい、それが続いていく。
下ネタも政治経済なネタも御法度というわけではないのに、なぜかしない。
シビアな話は避けているわけではなく、無理におもしろい話を探すわけでもない。
振り返ると「あれ、何を話していたんだっけ?」と内容は覚えていないが、たしかなのはとても居心地が良く楽しかったという記憶。
それぞれのグチを吐き出しスッキリした方がいいはずなのに、それを出さないのに妙にスッキリしている。
酒は一滴も呑まず、しかし帰りの足取りはとにかく軽い。

不思議な縁だと思う。
偶然が偶然を呼び、たまたま居合わせたメンツにより化学反応を起こした結果がこれ。
企画組にも似たようなことが言えるので、その場を提供でき共有できたことが、自身の存在価値だなと思う。

そしてつい先日縁の切れた連中を「あれ、なんでそんなに必死につなぎ止めておこうとしたんだろう」と思えるようになってしまった。
「せっかく出会ったんだから、つないでおかないとダメ」と思いこみ自身をそして相手をも縛り付けていたに過ぎなかったと。

ほっときゃいいんだよ。
同じ場、空気、過去を共有していたとしても、お互いが必要とするなら、時間を越えてあっさりと再会のときを楽しめる。しんどいときに手をさしのべるし、そいつのしあわせ、成功を我がものとして喜ぶことができる。
「ねたましい」「くやしい」「何でアイツだけ」とか思うようになったら、少なくともわたしはダメだ。

信頼とか信用とかそんなんじゃなく「自分が気持ちよく動けるか」だな、と今さら気付いた。


<今日の判定> ◎
来年の大新年会のために尽力してくれている連中がいる。本当にありがたくて、泣きそう(突然のメールで「た、頼む!」の一言だけなのに…)。しかもアイディアまで出してくれて、ここに来てようやく「こうすればうまくまわるのではないか?」とフォーマットが見えてきた気がした。
「手を貸してくれないか」と頼んだら「あいよ!」と腰を上げてくれる連中がまわりにいるだけで、きっとわたしは幸せ者だと思う。
いや、間違いなく幸せ者だ。
わたしは、そんなみんなに何を返せばいいのだろう。
【2009/11/23 01:03 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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