20余年ぶりの夏コミ 
8/13(土曜) 晴れ(32.0度)

コミケ90、通称夏コミ二日目。
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前回の冬コミはコミケ自体が20余年ぶりの参加だったので、当然ビッグサイトで行われる三日シフトの夏コミは初めて。
新宿からりんかい線直通に乗っていったのだけど、もう新宿の時点ですし詰め。
うんよく網棚を確保出来たので、なんとかなったのは実にラッキーだった。

今回、駅で待ち合わせとかはなく、単身そのまま流れに任せて乗り込む。
もともと一冊しか売るものもないし、設営はほとんど時間を要さず。
ドールショウやデザフェスのように立体物を一つ一つ並べるのとはえらく違うわ。

手伝いを頼んだ人は9時過ぎに到着。もっと遅くなると昨日寝ている間にメッセージが来ていたのだけど、ありがたいことにアクエリアスとポケットティッシュ(こういう所に気が利くのはさすが)を差し入れてくれた。
会場までしばし談笑。

今回持ち込んだ部数は残っていた在庫分の50部。
前回の冬コミで70部売れていて、その後まんだらけの資料性博覧会という研究本オンリーのイベントでもそれなりの数がはけているので、こんなに少なくなっているとは思わなかった。
スタッフの方にあげたり、見本誌で提出したり、世話になった方にあげたりと、なんだかずいぶん配ってしまったのだなあと思う。

それでも、結局15時の撤収で完売は出来ず。48冊にとどまった。

20余年前、ちょうどできるかな最終回当時では、来場者のほとんどが知っているタイトルであり、それこそ100部は余裕ではけた。

しかし今は違う。
そもそもこのタイトルを知らない。
再放送もほとんどないから、若い層は知るすべがない。
知っているのは三十代以上で、そもそも層が限られてしまう。

さらに表紙に研究本という記載が一切なく、イラストが描かれているだけ。
これではぱっと見、できるかなのファンブック、コミカライズ本に見えても仕方ない。

つまるところ、20余年前に作った当時の感覚で表紙を作ってしまったこと、さらには一定以上の年齢ではないとまるで知名度がないことなどがあげられる失敗。

いや、この本のためだけに足を運んでくれた、Twitterで見かけてこれはほしいと思った、ねとらぼに紹介されていたのを目にして、などなど、足を止めて買ってくださった方々には、本当に頭が下がる思い。
ありがとうございます。
20余年前の自分共々、感謝感激です。

いくつかの予備のために数冊残してあるものの、とてもイベントで売るだけの量はないため、もうコミケに出ることはない。
だから冬コミの案内も買わなかったし、他の同人イベントにもまず出ない。

表紙を変えて、より研究本アピールを増したものを作るのもひとつの手ではあるけど、もはやコミケに足を運ぶ人たちの多くが知らない層となっては、もはやその使命は果たしたものと思い、あとは個々の思い出の中で生きることを選びます。
【2016/08/13 19:52 】 | デザフェス用 | コメント(0) | トラックバック(0) |
シン・ゴジラ
7/29(金曜) 晴れ(33.2度)

背筋のピンと伸びたゴジラが闊歩し、手前を舐めるように自衛隊のヘリが展開する予告を観ても、なんだかまるで響いてこなくて。
ゴモラのような長すぎるしっぽも引きずることなく、別の生き物のようにうねうねしていて、最初に公開された予告の住宅街をなぎ倒すわけでもなく上空をやり過ごす描き方にも、やはりピンとクルものがなかった。

ゴジラは人類の脅威であるとはいえ、人を襲うわけでもなく、ただ意味もわからず海から現れて、飛べるわけでも地面を掘り進むこともないから、やがて海に帰っていく。
おまえは本当はえら呼吸じゃないか?と、20年ほど前当時所属していた同人サークルにそんな思いを書き散らしたことがある。
一方でゴジラの出来ないことが出来るガメラは、敵役のギャオスはあからさまに人を襲うし、いきなり上空に飛んでくるからとにかく怖い。
のしのしと走ることすらないゴジラはちっとも怖くない。

そう、予告で描かれたゴジラは、まさに「今まで通り」のゴジラに過ぎず、評価の高かった近年公開されたハリウッド版ギャレス監督のゴジラも、やってることは完全に平成ガメラの二番煎じで、僕個人は面白いとは感じなかった。

人に対して敵意をむき出し、それは怪獣に対しても同様だったGMK(平成ガメラの金子監督作品)だけが、唯一好きなゴジラ映画だった。

だから12年ぶりのゴジラも金子監督なら、もっと予告からグッとくる見せ方をしてくれるだろうにと思い、本作への期待値は皆無に等しかった。

それでも公開初日に足を運んだのは(それも通常よりも高いIMAXで。一般上映はすでに満席近かったから)、とにかくネタバレを目にすることなく、己の目でどんなものなのかを知りたかったから。
ただ0時上映の回を観た人がツイートで「放射能火炎の絶望感が」と書かれていて、そこの衝撃度は正直恨めしかった。
見終わった今だからこそ、彼の思わず書かずにはいられなかった興奮度は十二分に理解出来るが…。

とにかく、何を書いてもネタバレになってしまうので、あくまで個人的な感想を。

効果音が昔のそれ(ガレキが崩れるところが顕著)をあえて使っているのが、実にもったいない。
徹底したリアルな画作りなのに、効果音をどうしてそれにする?
また鳴き声もしかり。
ゴジラはあの鳴き声じゃなきゃダメなのもわかるが、もう少し違ったアプローチでもよかったんじゃないかな。

さらに残念なのはBGM。
もうあのエヴァの「デンデンデン」って、踊る大捜査線でも使われた曲は聞き飽きた。
明らかに狙ってるのはわかるが(バリエーションで三、四曲あった)、まったく違ったアプローチでの曲が聴きたかったし、あとはいつものゴジラのテーマ曲。
画とまったくあってないと感じたのは僕だけだろうか?

作劇としては完全にドキュメンタリーで、情報量が多すぎて一度観ただけではまるで処理しきれない。
むやみやたらに入る極太明朝も、IMAXのデカイ画面だと読み取ることが出来ないので、ただの画面効果としか捉えられなかった。

そんな重箱の隅をつつくような文句も、全編通して感じたヒリヒリとした緊張感の前には、わりとどうでもいいくらいの興奮をもたらせてくれたのもまた事実。

やたら多いキャストも対策委員会の個性派揃いは、見たまんまその道のプロという感じがしたし、いつもよく見る役者陣による政府要職の面々も「あぁ、こんな大臣いそう」と感じられた。

とりあえずもう少し小さいスクリーンでまた見たい。

久しぶりに興奮し、絶望感を味わった怪獣映画だった。
大好きな怪獣映画「クローバーフィールド」が個人からの視点だったけど、これは真逆の政府視点だったとみると、アプローチの違いで描き方は災害としての怪獣という点で同じなんだな。
【2016/07/29 22:55 】 | 映画鑑賞記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
高校時代の友人が亡くなった
7/28(木曜) 晴れ(31.0度)

昨日終わらせられなかった仕事をさっさと終わらせてしまおうとパソコンに向かうと、メアドはお互い交換していても滅多にやりとりをしない(どちらかというと年に一度の年賀状がメイン)高校時代の友人からメールが来ていた。
来年は皆五十だし、四十代最後に久しぶりに集まって呑み会でもやるか?なんて連絡かと思ったら、共通の友人の名前とその後ろに「死亡」と言う文字が。

亡くなったとか書けよ!
なんだよ、死亡って。
新聞記事かよ。

文字列は頭に入るが、書いてあることが今ひとつ理解できてない。

え? アイツが死んだ?

彼は独立し諏訪に拠点を移して二十年近くなる。
毎回、遊びに来いと言われても、どうも出不精で一度も行ったことがなかった。

こっちがちょっとメールで「仕事がカツカツでしんどい」なんて書こうものなら「骨休めに諏訪に来い。うまいもの食わせてやるし、温泉もあるぞ」と必ず景気づけて、気遣いを見せてくれた。

会ったのはもう二年前になっていた。
二年前の三月。同じ高校時代の仲間がライブハウスで演奏するからと誘い出され、珍しく出向いた。
彼も僕と同じ、頭を剃っていた。そして演者のひとりも。

ハゲばっかりだな、うちらのグループはと笑いあった。

メールは昨年の九月が最後だった。
年賀状はいつもの調子だった。
結局、それが彼の僕に残してくれた最後になってしまった。
やっぱり「遊びにおいで」だった。

かつて恩師を失った時もそうだった。
「今年はみんなで会いたいね」と、いつものフレーズ。
何も気にしなかった。

でも、虫の知らせもないまま、その年の八月に僕の唯一の先生は旅立ってしまった。

友人もそうだ。
「遊びのおいで」はいつものフレーズ。でも、もう二度と誘われることはなくなってしまった。

ケータイに入っている番号は、彼の携帯番号。
通じるわけがない。
メールアドレスもそうだ。送っても、いつもの調子で、ちょっと長めの返事が返ってくることはもう無い。

確か昔の電話帳(携帯の内蔵ではなく手書きのアドレス帳)に実家の番号があったハズと、先刻電話をかけてみた。
お母さんが出てくれた。
線香を立てに行きたい旨を伝えるが、丁重に断られた。
先生の時もそうだった。

向こうの誘いには乗らないのに、自分から行きたいと言ったって、そりゃあ都合よすぎるよな。

一体何があったのか、そんなことは聞けない。
だから彼がなぜ死んだのかはわからない。
急死だったのか、病死なのか、事故なのか。

ただそんなことは、もはやどうでもいい。
彼はもういない。
誕生日を目前に四十八で逝ってしまった。
【2016/07/28 19:01 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
デッドプール
7/4(月曜) 晴れ一時雷雨(34.7度)

ユナイテッドシネマの会員券の更新で、七月いっぱいまで映画一本いつでも千円(もちろん3DやIMAX、4DXはのぞく)が見られるわけなのだけど、例年たいがい行使せずにタイムオーバーになってしまう。
別に見たい映画がないわけではないのだけど、どうも平日のスケジュールが立てづらく(だったら一般社会人みたいに土日に行けという話なのだけど)気付いたら終わっていたというパターン。

現に先日「アイアムアヒーロー」を見に行った際にもらった六月いっぱいまで1200円で見られる券は使いたい映画はあったのに行かずじまい。もったいないことをした。

家にいても暑いし、それならば映画館にでも涼みに行こうと。
「クローバーフィールドレーン」も気になったのだが、レビューが今ひとつ思わしくなく、また密室劇らしいのでスクリーンでなくてもいいかと、アメコミ映画はあまり見ないのだけど「デッドプール」をチョイス。
映画秘宝がくどいまでにプッシュしているのだけど、本当にそこまで面白いのか?と確かめたくなったというのも動機のひとつ。

そもそも初めてデッドプールのデザインを見たのは、何年前の話だろうか?
あからさまにスパイダーマンと記号が重なっていて(赤いスーツにフルフェイスマスクは楕円形の目玉に黒地に白)、いくら何でもこれはいいのかよ?と。
最初、DCのキャラかと思ったら、同じマーブルだという。
コミックの中ではスパイダーマンへのセルフパロディもあるという開き直りっぷりに、興味を持つどころか痛々しさまで感じて、まったく好きになれなかった。
そのうち日本語訳されてコミックも出たけど、一人称が「俺ちゃん」というのも鼻につき、実写映画化といわれてもまったくピンとこなかった。
だいたいスパイダーマンにしか見えないし、首から下のデザインや能力が全くの別物と言われてもね。

ただしきりに映画秘宝でその実写版のスーツ写真が載るようになり、さすがに見慣れてきて(刷り込みというのは恐ろしい)、コロッサスがCGIながら登場する、いわばX-MENと同一線上の世界観というのも若干気になってきて(とは言えX-MENは格ゲーを少々やったくらいで、ちゃんとコミックは読んでいないし、映画も今ひとつ乗れずだったが)、見た話だと割と面白いというから、ならばと。

観客に話しかけてくるおしゃべりキャラクターという触れ込みだったが、別にモノローグの延長線のような印象で、そこまで騒がしくは感じなかった。
まぁ吹き替えだとまた印象が変わるかもしれないが、少なくともヒヤリングと字幕ではセリフを王のに精一杯で(だいたい字幕では要点を絞っていてセリフの全てが訳されてるわけじゃない)、またマシンガントークなら古いけどエディ・マーフィーのような黒人おしゃべりキャラには及ばないと感じた。

だからといってつまらなかったとはではなく、ど迫力のカーチェイスや時間軸の置き換えでデッドプール自体の生い立ちを飽きさせずに見せる工夫、そして容赦ない殺戮(よく見ると刀で切られた脚や腕が飛んでたりするし)等、退屈するヒマは全くなかった。

コロッサスは完全なCGIキャラだったが、その角刈りでごつい体つきに、CSIベガスの初期シーズンにいたオライリー刑事(スキップ・オブライエンという役者さん。残念ながら激やせした上ですでに鬼籍に)を思い出してしまった。
あの役者さんなら銀に塗ってそのままコロッサス出来たなあとか。

最近英会話教室に通うようになったので、なるべくヒヤリングでも少しは聞き取れるようにがんばってはみたが、いかんせん単語を知らないから字幕に頼らざるを得ない現実を突きつけられた。
昔、どうしても早く見たくて輸入盤のターミネーターやロボコップ(ともに一作目のみ)をLDで買って見たが、そういえばアレはセリフがあまりなくてわかりやすかったんだっけ。
デッドプールはよくしゃべるし、小ネタも多いのでわからんことばかりだった。
唯一わかったのはコロッサスに手錠をはめられて連れ去られる場面で字幕では「このロボコップ野郎!」と罵声を浴びせていたが、実際には「Dead or alive,coming with me」とロボコップの劇中でマーフィーが言ったセリフをそのまま使ってたところくらい。でもあのセリフをちゃんと「ロボコップ」と字幕で訳したのは偉いなあ。戸田奈津子では意味がわからなくて別の意訳になっていたに違いない!

ともあれ、お金をかけてど迫力の映画を作るのはいかにもハリウッド流ではあるけど、あの画面演出を考えているのは同じ人間であって、それを予算の力で映像化しているならば、お金のあるなし以前に発送の質が国産映画とはまったく違うんだよね。

チラシは裏一面役者の名前、予告でも一瞬たりとも「これはすごいかも」と思わせてくれないシンゴジラには、予算以上に足りてないものがあると感じてる。
【2016/07/04 17:12 】 | 映画鑑賞記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
無痛、読了
5/29(日曜) 晴れ(28.4度)

小説を買ったのが新春。
一月の病院での定期診察の待ち時間で読み始めた旨が書かれていたので、全編読み終わるのに四ヶ月もかかったことになる。
同じように映像作品を見て原作が読みたくなった「脳男」は買ってすぐに読了したというのに。

仕事が忙しいとか、読む暇が無いというのは理由にならず、ようは先が気になるから、何をさておき読んでしまおうというのが「脳男」とその続刊「脳男2」にはあった。

しかし「無痛」は滑り出しは好調だったものの、どうにもページが先にめくれない状態が続き、しばらくほったらかしていて、ようやく続きを読み始め、このまま読まないと最後までいけないと思い立ち、後半は一気に読んだと。

一気に読破出来なかった理由は簡単だ。

登場キャラのひとり、佐田というストーカーがいるのだが、その人物描写に割くページがやたら長い。
元嫁に対して送った屈折したラブレターを何も全編載せる必要があったのだろうか。
心の声も他のキャラに比べてとにかく長い。
そしてなによりイライラするキャラ設定。

そんなヤツなので、まあうまくいかず殺されてしまうのだけど、ここもそれまでの所行に比べてやけにあっさりとしているため、読んでいるこっちはちっともスッキリしない。

そもそもあらすじにも書かれている一家四人皆殺し犯と告白したなぞの少女、南サトミもなぜか途中退場。

三人目の主人公かと思った刑事の早瀬に到っては、前半に出て刑法第39条に対して一席ぶつだけで、やはり後半まで登場しない。
これは白神クリニックの白神にしてもそうだ。

ようするに作者が感じていることをそれぞれのキャラに蕩々と語らせたら、実質そのキャラの役目は終わり。

たいそうなテーマで斬り込んでいる割には、現役医師ということもあってか医学の専門知識的なディテールが書き連ねられていて一見高尚に見えるが、実際は狂言回しのようなキャラクターたちが立ち回っているだけ。

文庫本でも非常に厚いのだが、第一章の通り魔のくだりの執拗な殺戮表現、佐田の自分語りを最小限にと止めれば、もっとすらすらと読みやすくなったに違いない。
そもそもキャラクターが複数同時に動いているはずなのに、表に立ってないキャラがまるで見えてこないため、何ともチープな印象だった。

フジテレビのドラマ版は、やはり佐田のストーカーのくだりが長く、なんであんなに執拗に描くのだろうと訝しんでいたが、そこは原作準拠だったようで。
いや、でもバチスタシリーズのように換骨奪胎して、新しいストーリーにすることで原作を知っていてもドラマもワクワクする作りをフジのドラマは得意としているようなので、そこはアレンジしてほしかった。

特にサトミがなぜしゃべれないのか?の設定はドラマ版のアレンジが秀逸だったし、白神に関しても執拗に為頼をスカウトしようとする強い理想があるように見えたし(犯行の動機がチープで矮小なのはこれも原作通りだった…)、最後が駆け足になってアラが見えるのも含めてもドラマ版の方が断然よかった。

続刊もあるそうだが、キャラクター設定に魅力はあっても、キャラクター自体に魅力が乏しい(作者の狂言回しにすぎないのがどうにもならず。

同じようなテーマを奇しくも脳男2で扱っていたが、やはり乱歩賞作家のぐいぐい引っ張っていく話の構成、そして魅力的でイメージしやすいキャラ作りは完全に向こうに軍配が上がる。

だいたい小説家(本業は医者)なのに「憮然」を間違って使っている時点で興ざめですよ、まったく。
【2016/05/29 16:56 】 | 本関係 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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