テルマエ・ロマエ2
5/6(水曜) 曇り(17.2度)

連休最後の日。
繰り返し流されるコラボCMと、どうしても大がかりすぎてあまり面白そうに感じない予告編から

レイトショーの「テルマエ・ロマエ2」を見に行く。
というのも日中はほぼ席が埋まっていて難しかったからというのが本音。

実際、上映開始が21時45分で終了がほぼ0時。
明日からお仕事という人たちにとっては、いくらレイトショーで安くなるとは言え、この時間は選ばないだろう。
それなのにスクリーンは日中よりも100席くらい多い大きいハコ。
案の定ガラガラだった。

冒頭、コロッセオの全景から満員の観衆なめ、グラディエーターという描写。
300みたいに手足吹き飛ぶわけでもなく、迫力はイマイチ。
いや、テルマエに手足もげる描写を期待する方がおかしいし。
それにしてもこのグラディエーター役の人、ものすごく体格が良い。
誰だろう?

※結局、役者がわからずじまい。ただエンドロールで曙の文字あり。実はグラディエーターは曙その人だった!

正直、最初のくだりはいかにも「前作があたったのでスケール大きくしました」的なアプローチで、こういったたぐいは風呂敷広げすぎてたためずに破綻しつまらなくなるのがオチ。
予告編でも繰り返し流されるコロッセオ全景、グラディエーター、馬上のかっこいいケイオニウス等、どれをとっても前作にあった特有のゆるさが感じられず、一方では原作には無い相撲取りやウォータースライダーなどの狙った描写も今ひとつピンとこない。

そんな懐疑的な気持ちでの鑑賞ゆえ、冒頭のシークエンスにイヤな予感しまくり。

ところがどうだ
いざルシウスが日本にやってくると、あいかわらずどいつもこいつもいい人だらけの人情活劇。
予告ではピンとこなかった相撲取りたちも一つのシーンとして描かれると、これはこれでおもしろい。
そう、前作にあった妙なゆるさがそこにはキチンと描かれていた。

そこからは前作と同じ展開。
ネタに困ると平たい顔族の世界にやってきてカルチャーショックを受ける。
これの繰り返し。

ただ違う点は、前作で古代ローマに行った連中がちゃんとルシウスを知っていて、しかも涙を流すと元の世界に戻ってしまうことを共通認識として持っている点。
原作には無い要素だけど、僕はこの設定は何の前触れも無く戻ってしまうよりもよいと思っている。

気になった点もなかったわけではない。
というのもパロディのネタ元が四十代以上じゃないとわかりづらいようなものが多いのだ。
松島トモ子のエピソードや指圧の神様・浪越徳治郎は今の若い子は知らないはず。
ゴッドフィンガーというと、むしろ加藤鷹の方がポピュラーかもしれないし。

「わかる人には笑ってもらう」は「わかる人」には楽しいけど、わからない、知らない人には楽しめないように思うし、あまり多用はしない方がよいような気もする。

前半の小ネタのつるべ落としから、後半のシリアス展開は前作同様だけど、それでも後半には後半でしっかり笑いのシーンが入っていたため、前作ほどだれることは無かった。
一部よけいな新設定が気になったものの、ある意味エンディングで違う未来が描かれていたので、そのための前振りだったのか?とも感じる。

そして前作以上にメタ構造になっているのもよかった。

なにより入浴シーンということで、阿部寛の美しすぎる尻、北村一輝のビルドアップされた肉体、上戸彩のギリギリなつぶれ横乳など、違った意味でも見所満載。

良い意味で前作通りの二作目というできに満足だった。
無駄にスケールアップした部分は否めないが、それでも小ネタをちゃんと使ってくるし、安心してみて笑える良い映画だった。

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【2014/05/08 00:38 】 | ドラマとかテレビとか | コメント(0) | トラックバック(0) |
純と愛を半年見続けて
3/30(土) くもり(日中8度とか)

今日はNHK朝ドラ「純と愛」の最終回。
さてどのようにまとめてくれるかと、普段は土曜のBSまとめ見なんだけど、今週はリアルタイムで毎朝見ていた。
印象的にはどうあっても後数回で終わるように思えない展開。
視聴率40%をとったという「家政婦のミタ」を手がけた遊川和彦のお手並み拝見と。
脳腫瘍(しかも完治してない)で目覚めないいとしくんが、最後に目が覚めるか、それとも死んでしまうか。はたまた夢オチか。
素人考えなら、おさめ方は「ドラマは終わってその先にはツライ現実だけど、とりあえず王道として半年の締めくくりを気持ちよく終わらせる」意味を込めて、タイトルバックにもなっている眠り姫になぞって、最後目を覚ますか、もしくは醒めるのかな?をにおわせて終わらせるか。

そして朝ドラの定説をぶち壊すという脚本家の出した答えは現状維持だった。
そう、何も起きず、何も変わらず。
しかも尺が余ったのか13分には終わってしまい、タイトル曲でもない劇中曲でしめるというもの。

現実はそんなにファンタジーじゃない。
どんなに願っても奇跡は起きない。
それでも生きていかなければならない。

そういった意味で突き放したラストといえば聞こえはいいが、正直最終話途中の崖での長い長いモノローグがあまりに浅くて閉口。

聞けば、脚本家が現場に出向き演出していたそうで。
40%という視聴率をとってしまうと、人間かくのごとく浅ましさ全開になるのかというよい見本か。

脚本はあくまで設計図にすぎないし、それを役者や演出家(監督)、カメラマン、編集が映像として昇華していくものだし、そんなに演出したいのならそっちに転向すべき。
そういった暴挙を止められなかった現場というのもそもそも問題で、プロデューサーの顔色伺う必要のないであろうNHKでこれでは、もはや遊川和彦を止められる人はいないのだろうね。

思うに、一時間ドラマなら傑作がかけても、15分x6本でドラマを組み立てなければいけない朝ドラは新聞連載の小説に似て、そうとうに難易度が高いはず。
ようは毎日それなりの山場が必要(15分)で、さらに週全体を通した起承転結も当然必要。
一本にすれば90分のドラマとも言えるが、細かく分けられているからそうはいかない。

それを感じたのが、前半のオオサキホテル編から里や編、宮古島編の都合三編からなる手法で、それぞれがまったく絡んでこないため(主人公だけ)、まるで別クールのドラマを見ているような錯覚に陥る。

そして伏線が伏線として機能せず(そもそも伏線だったのかも定かではない)、その場しのぎのセンセーショナルなシークエンスばかりで、場当たり的なエピソードの印象を強める。
ドラマなので最低限のリアリティで充分でご都合主義はいっこうにかまわないのだけど、そもそも面接しているさなかに面接官がケータイをいじっているのはよほどの意味があるのだろうと思ったら、ただのキャラ付けに過ぎなかったり、里やの火事の元凶となったカップルも投げっぱなしで救いがない等枚挙にいとまがない。

主人公の父親がなぜあそこまでつらく当たるのかわからないし、兄弟、とくに弟が救いようのないバカだったのに、なにか特別なエピソードもないまま、いきなり真人間になっていたり、もうキャラクターの清張を描くのに必要な部分は省略し、ただひたすた不幸の大安売りと救いのないエピソードばかり。

主人公が底抜けに明るくて、どんな逆境にもめげずがんばると言うのはある意味王道だし、それは別にかまわない。「ポリアンナ物語」の主人公ポリアンナなんか少女だったこともあるけど、屈託のない笑顔でいつの間にかまわりを明るくしてしまう(本人がとにかくめげない)。あの話もけっこうしんどいエピソード満載だったけど、不快な思いはしなかった。

ところが本作の主人公純は、いちいち落ち込み、拒絶し、かたくなに閉ざし、些細な出来事で前に進もうと立ち上がるの繰り返し。
いや、ドラマツルギーとして正解だけど、これがいくら何でも大きすぎる障害がことあるごとに降りかかり、ひいた視線でみるとちっとも救われていないというのがマズイ。

関わったホテルがみな不幸に見舞われる。親が死ぬ。母親が痴呆。伴侶が寝たきりになる(しかも目覚めたとしても余命はさほど無い)。
もはや不幸の全のせ状態。
それでもめげずに明るさを失わないのならむしろ潔いが、前述のように躓き、落ち込むからやっかいだ。
周りの人間も味方のふりして無責任に思想を押しつけているだけ。

半年という長い時間を使っているのに、キャラクターがスイッチでも入ったように変わるのも大問題。
特にいとしの母は、あれだけ毛嫌いしていた純をどうやって認めたのか。
まさか雨乞いか。
細かい描写の積み重ねで描く時間もあったのに、すべてのキャラが突然変わる。
父親は最後までダメ人間だったのにいまわの際だけいい人になるし、すべてが中途半端だった。

好きな役者が演じているので、ある意味ガマンしてみていたけど、無意味な半年となってしまった。

救いのないラストでも傑作ドラマや映画はある。
でも「そうなってしまった」のにはわけがあり、そこには主人公の選択があるからこその救いの無さで、たんに不幸のつるべ落としとは違う。

やりきれないラストで有名な「ミスト」は言うに及ばず、先日ケーブルテレビで見た「世界大戦争」という昭和の特撮映画では、軍部の人間と対をなす市井の民がいるのだけど、ラスト核戦争が起きてしまい市民はただただ無力に核の炎で焼かれるのを待つだけという、あまりに無常な場面がある。
個人の力ではどうにもならないことはあるし、立ち向かってもどうにもならないことばかりだ。
家族で最後の晩餐(確かすき焼きか何か食べていた)をとるシーンは特に胸を打った。
なにげない日常が、自分たちのうかがい知れないところで打ち消されてしまう怖さ。
そこにはなんの希望もない。

純と愛も根幹では同じなのだろうけど、決定的に違うのは不幸エピソードがとにかく浅いこと。
たった一撃の台風で全壊に等しい被害を被るホテルとか、痴呆の母と植物人間の伴侶を抱えてホテル再建できるわけ無いのに、かつての仲間は「オマエならできる」となんの援助もしないくせにエールを贈るだけ。
いや、天性の明るさとバイタリティを持つスーパー主人公なら「これくらいでめげないよ」はアリだけど(それでもいくらなんでもこの不幸コンボではリアリティがなさ過ぎる)。
最終週がとりわけひどかったけど、毎度毎度立ち直るきっかけがひたすら安っぽい。
さんざん拒絶していて、ちょっとした一言で復活って、それは復活の呪文か何かですかい。

もっとも腹立たしかったのが、公式で予防線を張っていること。
「賛否両論あると思いますが」と書くのはかっこ悪すぎる。
これが俺たちの答えだ!とウソでもいいから自信を持って書いてほしいもの。

少なくともあのラストで僕は希望を見いだせなかった。
予定調和だろうがなんだろうが、朝ドラを見るような視聴者層には、最後にいとしくんが目を覚まし、一言なにかしゃべるべきだっただろうに。

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【2013/03/31 00:42 】 | ドラマとかテレビとか | コメント(0) | トラックバック(0) |
期待大きすぎたか
12/3(土) 雨(日中10度以下、現在16度とか)

湊かなえ原作の書き下ろしドラマ「境遇」。
うーん。
文字として読んでないし、映像としての脚色もあるだろうけど、今イチだったなあ。
前作の「往復書簡」の方がよっぽどどんでん返しが効いている。
なんかテクニカルな部分が鼻につき、しかもリアリティの積み重ねができていないから、なんとも薄っぺらな印象だった。

ここでいうリアリティというのは、別に究極的な現実描写ではなく、ちょっとしたしぐさやシチュエーションの積み重ねのこと。
子供を誘拐されておろおろしない母親。もっと取り乱すでしょ、普通は。
それなのに「新聞記事の打ち合わせに出かける」か? ありえない。
警官がわざとらしくそばを通るのに、葛藤すら見せない。
ミスリードのための話と、それが済んだら舞台から降りてしまうキャラクター。
実に浅い。

二時間強見ていて、松雪泰子は役柄で印象が完全に変わってスゴイ役者だとあらためて思うのと、西村雅彦が滑舌悪すぎて初登場時三回ほど何言ってるのかわからなかったことくらいか。
あとりょうが時々戸田恵子に見えたのと、若い頃と言ったら猫も杓子も谷村美月を使うこと。
いや谷村美月は嫌いじゃないけど、なんか回想シーン専用役者みたいで不憫だなあと。

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【2011/12/03 23:59 】 | ドラマとかテレビとか | コメント(0) | トラックバック(0) |
砂の器 二夜連続スペシャル
9/11(日) 晴れ(32度。中野)

やはりというか案の定ハンセン病は使わなかった。
別に業病にこだわるわけではないのだけど(僕も含め、差別による絶望感はよくわからないと思うし)、それが殺人事件のえん罪ではいささか動機が弱すぎる。
それとも戦前はそうだったのか?

数年前にやった中居くん版現代劇アレンジの連続ドラマの最終話で泣いた口なので、今回の取り調べ落としのシーンは「これは泣けないなあ」でした。
中居版は津山の三十人殺し風を取り入れて、いわば逃亡犯なわけで、だからこそ息子と引き離されるのも合点がいく。
最初に和賀英良が殺人を犯すシーンも衝動的な部分をピックアップしていて、後追いで映画版や原作を読んでも、中居版の印象が強すぎてあまり入り込めなかったくらい。
ようはそれほどひいきなドラマだったので、今回がどれだけ原作をアレンジして感涙させてくれるかと期待してたのだけど…。

自殺した女の子のくだりや、なぜか都合よく死産して失血死するホステス(DVを受けたッぽいセリフがあったけど解明はされず)とか、ご都合主義的に散りばめられつつ、中途半端に原作セリフを使うもんだから「まさか超音波兵器が!?」と色めきだつも、当然のごとくスルー。まぁ、名作と言われる映画版もあのトンデモ部分はオミットしているから、最初に原作読んだとき「なんじゃ、これ?」ととまどったもんです。

その映画版のハンセン病差別のくだりが映像として強烈なので、その印象ばかりが先だっているけど、実際の原作ではほんの数行。業病としか書かれていないし、時代背景を知らないと「なんで?」となる。

様々な事情でハンセン病を描けないのならば、親子が流浪する動機、そして離ればなれにならざるを得ない、さらには別人として生きなければならない強烈な動機づけがないと、作劇に没入できない。
そういった意味で、映画版のファンには不評な中居版の30人殺しは、30人殺さざるを得ない村八分の描写と相まって僕としては涙なしでは見られなかった。もちろん名優原田芳雄の芝居もすばらしかったし。

というわけで、昨夜の「これはけっこういけるんじゃないか?」の期待が見事に裏切られて、なんだか尻つぼみで拍子抜けした二夜連続のスペシャル版でした。

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【2011/09/12 00:07 】 | ドラマとかテレビとか | コメント(0) | トラックバック(0) |
金八先生ファイナル
3/27(日) 晴れ(花粉多め。気温も高く無し)

四時間中、今回のオリジナルストーリーは三時間。
その中でよくまとめたと思う。
リアルに考えればそんなことで人の心が動かされるかよ!という感じですが、それはドラマの、むしろ金八先生のたしなみ方としてはいささか間違っている。
ここは大いにゆだねてほっとするべき。

それにしても第三シーズンは桜中学が舞台ではないからとはいえ、完全にエンドロールでも無かったことにされていて非常に不遇。
めぼしい立ったキャラも思い出せないし(それは第八シーズンでも同様)、仕方ないと言えば仕方ないが。

せめてスケジュール調整して、各シーズンの主役級は集めてほしかった(性同一性障害役だったためその後のスペシャルでもいっさい出ていない上戸彩は仕方ないにせよ、第七シーズンを支えた狩野伸太郎役の浜田岳がいないのは実に寂しかった)、それはやはり難しかったのだろう。
加藤優が役者引退しているのに出演してくれて、しかも安定した芝居なのがやはりすごいところ。
そして泣き所でもあった。

もっとも、ここのところ公私ともにしんどいことばかりなので、この四時間は僕にとってもありがたかった。
【2011/03/27 23:52 】 | ドラマとかテレビとか | コメント(0) | トラックバック(0) |
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