膝掛けと扇風機
9/27(月) 雨(最高気温20度届かずか)

珍しく今日はスケジュールが分刻みに詰まっていまして。
朝から内科の定期検診、待ち時間三十分問診一分の東京医大へ。
バスを利用するのだけど、折からの肌寒い雨ゆえ車内は人いきれでむっとする暑さ。
そしてなによりも年寄り満載なので加齢臭が充満。
まさに息が詰まる。窓を開けたくても雨で無理。じっと我慢。
不潔で臭いワケじゃないからと頭では理解しても、生理が受け付けない。
もっともいずれ自分も、あの「枯れた」においを発することになるのか。
暑いわ臭いわで、頭がにわかに痛くなる。

問診は案の定あっさりと終わり、高円寺にとって返す。
次の予定は12時に改札。わざわざ遠くから来てくれるので、佐世保バーガーをテイクアウトして出迎えるべく、事務所には寄らずそのまま合流。
若干時間に余裕があったので、久しぶりにゲーセンに入るが、めぼしいものは無し。
スト2やるとか。

懐かしい顔は、すっかり美人さんになっていて、横を通ったはずなのに気づかない始末。
ただ辞した会社のあり方を聞くにつけ、経営者のなんたるかがリアルに感じた。
つまるところ信頼関係と、やはり必要なのは「ねぎらい」だと改めて思う。
人に対して感謝の気持ちを「ねぎらい」に乗せれば、もっと円滑な関係が気づけるのに。
とはいえ、僕は零細個人事業主なので、ねぎらうべき相手もいないし、ねぎらってくれる人もいないわけで。
そう思うと、いささか寂しい。
もちろん話はそんな不景気なものばかりではなく、猫つながりで河鍋暁斎の魅力について熱く語ってしまう自分がいたりと、気づけば次のスケジュール間近。
そのあとの予定がなければもう少し話していたかったところを切り上げてもらい、一路東京駅へ向かう。

アプリSTGのプログラマーさんが大阪より出張で急遽来ることになったので、帰りしなの間隙を付いて会いましょうという算段。
当初は高円寺でと言う話だったが、19時の新幹線で帰るとあって、東京駅から往復一時間かけてしまうと正味三十分もないため、僕の方が東京駅に向かうことにしたというわけ。
時間にして一時間少々ながら、こちらも身になる話ばかり。
創作に対して熱い人とのお話は楽しいし、こっちも負けてらんない!という気持ち、モチベーションになる。

それにしても長袖でも心許ないくらいの外気温ながら、やはり屋内、特に車中は暑くてたまらない。
そのくせ、帰宅後の自室では膝掛けを使い始める始末。
でも顔はほてっているから扇風機回したりと、季節が混濁。
でも意識はクリア。

久しぶりに大いにしゃべり、話に耳を傾けた。
【2010/09/27 23:25 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
静岡カエルの旅
9/22~23 晴れから雨(季節は夏から秋へ)

休みを利用して、またしても静岡へ。
今回は伊豆高原のアンダリゾートと三島の河鍋暁斎の美術展がメイン。
両方の共通点はずばりカエル。
アンダリゾートは敷地内がバリ島のイメージで、そこここにカエルの石像が設置されている。
以前、たまたま通りかかった際に見つけた「かえる家」もすぐそばにあって、まさにカエルづくし。
驚くべきはそのサービス。
ホテル室内の備え付け冷蔵庫にはフリードリンク(ビールまである)で、施設内ではほぼ飲み物はタダ。
食事の際の飲み物も例外ではなく、アルコール類も同様。
遊戯施設のエレメカもタダ。久しぶりにワニワニパニックに興じてしまった。
休前日とはいえ、思いっきり平日なのに満室なのも頷ける。
内装もバリ島風味で、なんだかちょっとした海外旅行気分を味わえる。
チェックアウトも11時と遅く、のんびりできて、なかなかすばらしいところだった。

真夏のような暑さの水曜日から一転雨模様の木曜日。
昼前にゲリラ豪雨のような雷鳴に、高原ゆえか道中は濃霧。
カーナビで「次がカーブ」と認識していないと、全く見えない状態。
高原を降りると今度は雨。
車内が曇るのでエアコンを入れていたものの、実は車外の方が寒いという事実にびっくり。
一時間半くらいで、もう一つの目的地三島市の佐野美術館に到着。
「没後120年記念 仕掛けの絵師―鬼才・河鍋暁斎」
わざわざ静岡に来てまで暁齋かって感じではあるけど、普段ではなかなか見られない大型の図版が展示されているということで、せっかくだから寄ってみようという算段。
しかしてそれは大正解。
当時、百円の値が付いたという暁齋が一躍有名になった「からす」の画があったのだけど(別のバージョンではあるが)、その筆致のすばらしいことすばらしいこと。
墨で描かれているのだけど、白はいっさい足していない。
ようは筆の強弱で羽毛の隙間を描いているのだ。
ほぼ黒一色なのに、もこもこと柔らかそうな質感に、鋭い眼光。
最後にもう一度見て帰るくらいに見惚れてしまった。
そして暁齋が18歳の時に描いたという画がまたすごく「これで18歳なのか…」と思えるほどの完成度。
動物ものも多く飾られていて、みな躍動的でどこかユーモラス。
けっこうえぐいシチュエーションはあったりするのに、血なまぐささや残酷さはそこになく、あくまで見て楽しめるような配慮を感じた。
だからこそ僕は暁齋の画に魅了されているわけなのだけど。
画のうまさももちろん、そのウィットに富んだ発想と顔だけにとどまらない体全体の表情豊かな作風。
気づけば二時間近く眺めてはため息。
すごいなあ。
あと、あいかわらずそこかしこにカエルが描かれていて、これがまた実にこっけいでかわいい。
今回はカニもいて、表情のないはずのその形なのに、なんだかとても楽しそう。
眼福至極。

その後、たいした渋滞にも阻まれず、無事帰宅。
途中寄った海老名サービスエリアでは、降りてびっくり。
半袖では寒いくらいの気温。
夏に出かけて、帰ってきたらすっかり秋深し。
体調を崩さないように注意しないと。
【2010/09/24 10:29 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
ゾンビ映画に思う
9/19(日) 晴れ(30度。今日はだいぶ蒸し暑い)

CGモロバレで正直あんまりなデキなのに、なぜか続編が次々に制作される「レジデント・イービル」ことバイオハザードの映画版。
先週うっかりチラ見して、気づいたことありまして。

それはアンデッドことゾンビの関する扱い。
もし今、歩く死者が現れたとしたら、おそらく誰しもが「ゾンビだ」と認識するはず。
そして映画に習って、とりあえず脳天ぶちかます。
これは「リターン・オブ・ザ・リビングデッド(邦題バタリアン)」の劇中、本家のパロディとして描写があった(実際は頭に杭を刺しても機能停止しなくて「嘘じゃないか!」とパニくるすばらしさ)。
ようは劇中の人物たちもゾンビという存在を知っていると。

しかしバイオハザードでは知らない。
特殊部隊はいたずらに弾を消費し、しだいに圧倒され多勢に無勢という有様に。
なんちゃらウィルスを研究しているわりに、バイオハザード世界の人間たちはゾンビを知らないのね。

評判のすこぶる悪い北米版ゴジラには、こんなくだりがある。
巨大イグアナ(北米版のはゴジラではなく被爆した海イグアナ)に日本籍の船が襲われるのだけど、そこの日本人船員はその姿を見て「ゴジラだ」と思わず叫ぶ。
劇中、ゴジラの名称が出たのはこれきりで、あとはクリーチャー(怪物)扱い。
たった一言のセリフながら、この世界の日本人は「巨大な爬虫類もしくは恐竜のような生き物を見るとゴジラを認識してしまう」というすばらしい設定が見えてくる。逆にアメリカ人にとってはまるでなじみがないのでゴジラの名称は使わない。おしむらくは内容がほとんどジュラシックパーク2だったのが残念でならない。

連続テレビドラマ「CSI」ではそれがより顕著で、緑の血のシークエンスでは「被害者はバルカン人(スタートレック)というわけでもなかろうに」のようなセリフがぽんぽん出てくる。ドラマの中でも時間軸は現代と同じである、と。

SFにおいてのリアリティは説明セリフによる状況解説ではなく、ちょっとしたなにげない「現実世界との合致」だと思うわけで。
たとえばバイオハザード一作目の劇中でアンデッドと初遭遇した際「まるでゾンビじゃないか」の一言があれば、僕の中では名作たり得たのだけどなあ。
【2010/09/19 22:34 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
大哺乳類展と大雨と
9/8(水) 雨(久しぶりの降雨と最高気温30度届かず)

台風の影響で、東京でもいったいいつぶりなのだろうという雨が降るとの予報。
ふたを開けたら、台風は滋賀あたりから太平洋側にやってきたようで、のきなみ大雨被害とか。
降ったら降ったで一時間あたりの降雨量が100ミリ超えるとか。
ただこれらの情報は帰宅後の報道で知ったことで、外出中はせいぜい「雨脚がやけに強いな」程度だった。
出かけるときよりも帰りの方があきらかに気温が下がっていたので、今日は最高気温30度には届かなかったのではなかろうか。地上の熱を雨がひらしてくれたに相違ない。ただなにしろ大雨のため、気温に関してはまったくふれず。

大哺乳類展、今回の目玉はやはりシロナガスクジラのリアルスケール骨格標本だろう。
残念ながら複製ではあるが、なにしろ全長25メートル。
恐竜時代をあわせても地球上でもっとも大きな生物が、現代の地球に生きているこの不思議さよ。
なんでも骨格標本は国内に三つしかないようで、そのうちの一体の展示用レプリカということだ。

雨模様なれど、予想よりも来場者はけっこういた。
しかも入り口周辺でろくに展示物を見てもないのにたまっているグループデート組がいたりと、のっけから気分をそがれる。
おしゃべりよりも目の前にある剥製やレプリカをじっくり見ろよっ!と。
アザラシ、アシカなどのまだ足のあるたぐいは剥製で飾られているケースが多く(毛皮ゆえ?)、一方でイルカはすべて模造品。クジラはでかすぎて無理だとしても、イルカの剥製がなぜないのだろう。やはり保護団体のからみか、それとも皮膚の構造ゆえか。人道上をのぞけば人間の剥製も、樹脂で固めた輪切りがある程度なので、体毛がないと難しいのかもしれない。カエルや両生類も水分が多いため、剥製が無理だし。

まず水棲哺乳類の代表格としてシャチの骨格が出迎えてくれる。
あのなんだか愛嬌のあるパンダ柄とは裏腹に、英名は「ホエールキラー」。
きわめてどう猛で、かつ頭がいい。
しかし骨格からはあのシルエットがどうしても想像できない。
頭が小さすぎるのだ。
また特徴的な背びれには骨がなく(尾びれも同様)、逆に胸びれは指が残っていてかなり大きいので、これも普段目にしているシャチのイメージに結びつかない要因。
帰りしながちゃがちゃにシャチの骨格があったので、数回回したらしっかり出てくれた。

イッカクの全身骨格が天井からつるされていて、あの特徴的なツノが頭に対して左右対称ではなく、左上あごから生えている歯の一種だということがよくわかる。知識として知っていても、撮影されたものでは「ツノは体の真ん中から」という先入観でイメージできていなかったから、これはありがたかった。
またそのツノの螺旋状のディテールもじっくり見られるし、重畳重畳。

その真横にシロナガスクジラのリアルスケール骨格標本。
とにかくでかい。骨だけだから、これに肉がつくわけで、さらに大きく感じるはず。
頭だけでも小型のバス程度はある(骨だけの印象で)。
ただおそろしく平板な頭蓋骨格で、なんだかSTGの自機のよう。すこぶるかっこいい。
ほかにも頭の骨格が三種、シロナガスクジラから見て正面に展示されていて、さながらバリエーションのごとく。
あまりにかっこいいので、すべて写メを撮ってきた。問題はどれがどれなのかわからない点だったり。

次のコーナーでは絶滅についてと、砂浜に迷い込んできてしまうイルカ、クジラについて。
一般的には警鐘の意味も兼ねているので、いい展示方法だと思う。
ただ僕にとっては「結局は人間がすべての現況」と、自分ではどうすることもできないむなしさとやりきれなさを味わうため、ますますヒト科の生き物が嫌いになる。
沖縄のジュゴンは数頭しか生息が確認されておらず、絶滅は必至。
だから辺野古に基地を作ろうというのか?と。
中国では揚子江カワイルカがつい先日絶滅したばかり。
もう少し自然と共存できないのか、人類よ。
恐竜のように滅びるのが、ほかの生き物にとっては必定としか思えない。

そんなうつうつとした気分になりつつ、おみやげコーナーで勢いシュライヒ(動物フィギュアの老舗)のコウテイペンギンの子供(四羽セットで猛烈にかわいい!)と親を一羽を買って帰る。無駄遣いはアカンのに、あまりのかわいさに連れて帰ってしまった。親子併せて1.5k。ひな鳥は山ほどほしいくらい。
【2010/09/09 00:13 】 | たわいもない日記 | コメント(2) | トラックバック(0) |
河鍋暁斎記念美術館にまた行ってきた
9/5(日) 晴れ(28度から36度)

九月から始まった「暁斎一門の描く妖しき世界―幽霊図・妖怪画―」展、かえる友の会のかえる展に出品していた作品の返却がてら見に行く。実は二週間前にも行ったのだけど…。
今回は妖怪。
現物は今まで見たことがなかったものの、文庫本サイズの画集は買ってある。
本当は大きな図版でみたいのだけど、学術書的なものはすでに売り切れだからしかたなし。

それにしても暁齋の画は見ていて飽きない。
どことなくウィットにとんだ作風に、ダイナミックなポージング。
現在の漫画的なアプローチにかなり近く、ゆえに低俗で画家としての価値が見いだされていなかったらしい。
今回の展示物で実に興味深かったのが、下絵状態の幽霊画。
鉛筆と消しゴムがなかった時代だからなのか、和紙を上に重ね張りして画を修正している。
そして下に描かれているボツ画稿が透けて見えるので、画の遍歴が一目瞭然。
妖怪画の方にはそれがなく、掛け軸用の錦絵だからよけいに気合いが入っていたのかもしれない。
すごい迫力だ。

一方では暁齋の得意なモチーフのされこうべが数点あり、どれも表情は骸骨でまったくないのにすばらしい生命感。特に生け花をいけるされこうべの図は、見ていて想像力が刺激されてとても気持ちいい。
「ものすごく真剣だなあ」「ひょっとしてけっこう年の行っている女性かな」とか。
第一展示室奥に飾られていて、一巡してから再度見るくらい気に入りました。
そしてその図版を使ったトートバッグも買ったり。
ほかにも笑う骸骨など、全身で楽しさを醸し出しているため、とにかく楽しそう。

暁齋の画、全般の印象に「楽しませたい」「楽しそう」がある。
モブシーンのひとりひとりが実に生き生きしていて、しかも指先まで表情豊か。
動物の擬人化は素人目にも顔の表情だけでは喜怒哀楽は難しいが、暁齋の場合全身で感情を表しているので「このかえるは楽しそう」とか「困ったヘビ」等、見ればすぐにわかる。
だから全く表情のない骸骨でも笑っているように見えたりすると。

ちなみにすっかり魅了されてしまった僕は、ついに河鍋暁斎記念美術館友の会に入りました。
しかもこれでいつでも無料で見られるという、とてもありがたい特典付き!

静岡は三島で大きな展示会が開催されているのだけど、行こうかかなり迷っていたり。
【2010/09/06 23:53 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
インセプション
9/1(水) 晴れ(28度から36度)

中野区の週間天気予報は27から36でおおむね固定。
エアコンフル稼働でも西日ガンガンなリビングは、まるで冷えてこない。
熱がこもりすぎ。
むしろ外にいた方が、まだしのげる感じ。

というわけで、パソコンも瀕死状態で作業はできるわけもなく、せっかくの映画の日なので久しぶりにシネコンへ。
「Aチーム」「ソルト」「インセプション」が候補。「アリエッティ」は地上波スルーに。
公開から一月経っている「インセプション」をメインにすると上映時間153分がたたって、他とのつなぎができない。
しかたなしに今日はそれ一択で。

漏れ聞こえてくる評判は「難しい」とのことだったが、その実そんなこと全くなかった。
たしかに見方によっては難解にも取れるだろう。
しかし作劇を追うだけでも、それなりの理解は得られるし、あからさまなミスリードもない。
それよりも近年まれに見る「人の死なない」ストーリーに、むしろ驚いてしまった。
舞台は「夢の中」。
井上陽水の「夢の中へ」よりも斉藤由貴版のカバーの方が好き。
「夢の中へ~夢の中へ~行ってみたいと思いませんかぁ~うふふ~♪」である。
まさにそれ。
一見やりたい放題な世界かと思いきや、すこぶる普通。
空も飛ばなければ、外人の大好きな日本刀バトルもないし、功夫もない。
あったらあったでメイトリックスまんまなのでアレだけど。そういやサングラスやコートもなかったな。
相反するように世界の構築や演出はド派手。
そこにいい感じの芸達者たちが、それぞれの夢の中(というより階層)で話を引っ張るから、正直153分は長すぎるのだけど飽きることはなかった。単純に生理的なおしりが痛い、膝が伸ばせないのがツライはあったけど。

夢と現実の違いがわからなくなって「今いるのは現実なのか、それとも夢か?」で壊れていく主人公だったら、もっとチープなどこにでもあるB級テイストだったであろうに。ようは「シャッターアイランド」のように。くしくもデカプリオつながりだけど、「インセプション」の方が数段スッキリできる。

オチはある程度読めたけど、あれはあれでいいと思う。

予告編で「アイディアを夢の中から盗む」と行っていたので、てっきり産業スパイ的なものかと思ってたけど、どうやら英語の「アイディア」と、日本語の『発想』という意味でよく使われる「アイディア」では、いささか様子が違うようで。たしかに英和辞典を調べたらideaには別の意味があったし、字幕ではそっちの意味にしておくべきだったと思うなあ。理念とか。

なんにせよ、人が死なない(劇中でもともといまわの際にいたキャラはのぞく)で、これだけのサスペンスフルを作れるのには、なかなか驚いた。
夢という自分の思いが形にしやすい舞台ゆえに、本来ならいないキャラがしゃべるセリフにその人の抱える苦悩やこうなってほしいという願いが反映されていて、実際は本当にそう考えているかわからないのに話が進んでいくのは、自分もよく夢の中で謝っていたりするのでよくわかります、はい。
【2010/09/01 21:24 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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