視点を変えると見えてくるもの
5/21(木) 晴れ(今日も暑い)

誕生日おめでとうコメントの中で、こんな一文があった。
去年から数えて一年間無事に過ごせてきた記念日が誕生日である
三十路の頃に親父に「誕生日はイコール母の日である」と擦り込まれて以来、自身が誕生日に対して特別な意味合いを持てずにいたため、この一文には軽いショックを覚えた。
そうか、一年間無事に過ごせたからこそ今の自分がいるのか。
イヤなこと、つらいこと、かなしいこと。
一年あれば、そりゃあ掃いて捨てるほどのおもしろくないことはある。
しかしそれだけではない。
いいことだってあったハズ。
第一、大きな病気やけがをせずにこうして生きているではないか。
たしかに現状取り巻く状況は、こと仕事関係に関してはひたすら思わしくない。
しかしだ。
だからといって絶望して、世をはかなんで、うまくいっている人をねたんで、それで時間を過ごしすことの無意味さくらいは知っている。そう、来年の誕生日が無事迎えられる保証など、どこにもないのだから。
ならば、今を生きろ。
見方を少しだけ変えてみろ。

先だってのデザフェスが、思うようにいかずにへこんでいたこの数日。
一生懸命丹誠込めて作ったのにと、作り手の苦労なんてなんのアピール材料にならないのに、それでもなお「なにが悪かったのだろう」と自問し続けていた。
しかし一通の携帯に届いたメールに写メが添付されていた。前回のアマゾンくん彩色版と今回の同シルバー版。デザフェスの翌日に届いていたのだけど、なんだか返信できずに木曜になってしまっていて、あらためて文面と写真を見る。
そしたら気付いた。
気に入って連れて帰ってくれた人のうちには、ちょこんと鎮座しているんだ
出戻りしたバジェットくんたちをみて切なくなるばかりだったけど、そう引き取られていったコたちもいる。
しかも「新作期待しています」とか「うちの玄関に三匹並んでいるんです」とか、エールを送ってくれた人も確実にいたんだ。
苦労に見合う結果ばかり気にして、肝心の「気に入ってくれた人たち」の温かな気持ちをぜんぜん感じられずにいた、このくそたわけが!
いいことあったじゃないか。
見えていないだけ。
まさにあきめくらだ。視野が狭いにもほどがある…。
写メを見て、あらためてそれに気付いたわけで。

そもそも自身のキャラクター性も含めて、万人にうけるタイプじゃない。
むしろマニア向け、好事家向け。
しかし支えてくれる人は確実にいる。
誕生日メッセージにかこつけて、わたしの今後のことについての指針を送ってくれた酔狂な男もいた。

どん詰まったら、首を左右に振ってみる。
案外、デッドエンドじゃなく隙間があったりするもんだ。
もうダメなのは、自分の心。別のアプローチや結果が見えていない目。
視野が狭いのは、リアルな目玉だけで充分。

四十二になった翌日、今まで見えていない部分が少しだけ見えた気がした。

<今日の判定> ×→△
何もする気がおきなくてウツウツした気持ちの午前中。
メールの返事を無理矢理して、早めに事務所へ向かう。
南風が強い。半袖でちょうどいい夏日。
営業さんが帰ってから、やはり気持ちは上向きにならない。
ケータイに届いていたメールの返事を、夕刻になってようやくする。
返信前に写メを見る。
そしたら見えなかった部分が、パッとひらけた。
ケータイを開かなかったら、たぶんウツウツしたまま今日は終わっただろう。
何がきっかけになるかわからないものだ。
【2009/05/21 23:58 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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