コミカライズ
8/23(日) くもり(今ひとつハッキリしない天気)

ヤングエースに連載されているさまおのコミカライズを、映画も見たことだし一気読み。
といっても雑誌自体が二号までしか出ていないので、前半も前半、出だし部分まで。

しかし構成はこっちの方が好み。
設定を後回しにして、話がまず始まる。
劇中では一切語られていないヒロインの剣道部員(しかも学校内ではあこがれの存在)という設定も、しっかりとフォロー。
映画の尺にすると冗長になるからカットしたとおぼしき部分が復活している気がした。
逆にもしシナリオからこの作劇をリビルドしたなら、この漫画家の手腕はスゴイ。
絵柄も貞本風だし(曾祖母はまさにそのまんまの再現度)。

これは単行本が出たら買ってしまうかもしれない。

映画原作の小説やコミカライズは、ただ単におさらいとしての役割にすぎないものと、作者の解釈によって再構成されたり掘り下げられたりするケースがある。語りきれなかったとおぼしき部分を補完するものすらある。いやいや、設定しているならキチンと描いてくださいよと思うが、二時間という尺は存外短く、流れが止まってしまうのならむしろカットしてしまう方が懸命な判断だとは思う。

それなのにマンガや小説が原作の映画はどうだ。
原作重視といって、その実ただ音が入って動くだけ。
一方では換骨奪胎の名の下、全くの別物に成り果てる。
原作もおもしろく映画もまたおもしろくなんてのは、これだけ原作主導が多いなか、巡り会える機会のなんと少ないことか。

逆はあるのにね。

おとといのことだけど、小泉響子(木南晴夏)のでないクソつまらない20世紀少年第一章を見る。
何度見てもおもしろくない。
わざとらしい「あ、思い出した」な説明セリフは、マンガだから許されるだろうに。
シルエットや声でモロバレなともだちとか。
役者たちの芝居も妙に不自然で、いいのは常盤貴子くらい。
子役とはいえ腹のそこからの叫びにはほど遠い「うおー」はないだろう、「うおー」は。
ああいうときは「なんだかわからない叫び声」じゃないと。
アニメなんかでもよくあるが女性キャラが「きゃー」と文字で叫ぶが、あれも興ざめ。
今の声優は「文字を読んでいるだけ」感があってイライラする。
そういった意味で役者を起用する宮崎アニメや細田アニメ(時かけやさまお)には納得。

マンガや小説など音のない世界から、実際に音のある世界にトランスレートする際には、細かいことでもちゃんと調整しないと興ざめしてしまうと。
くだんの「うおー!」なんて文字媒体では当たり前の表現だけど、子役の腹の底から出てない声では「何こいつ」な印象。カタルシスもあったもんじゃない。
というわけで、わたくしは「きゃー」とか「うおー」を声にするのは全否定派。
洋ゲーかぶれと言われればそれまでだけど、向こうの絶叫はまさに悲鳴で「ホントに苦しんでいる」感がでていて、ちょっぴり心が痛むほど。
おそらく日本の声優業界では「きゃー」「いやー」はそのまま文字として声に出しなさいと教育されていると思うので、仕方ないのかもしれないけど。
その点、役者はただのノイズになるくらいで叫んでくれるケースが多いので、わたくし的には満足かな。
時かけのブレスとか、たまらないものがある。

<今日の判定>△
エアコンに頼らず、扇風機で余裕で乗り切れる陽気はありがたい。
六月の方が暑かったような記憶が。
【2009/08/23 23:28 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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