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命日
8/26(水) 晴れ(ずいぶんと秋めいて)

今日は恩師の命日。
もう四年も経つのか。
先生は61歳のまま歳を取らず、わたしは四十路を越えて厄年のまっただ中。

わたしにとっての先生は、中二の時に出会った(厳密に言えば授業では中一から。担任になったのが二年)あの人だけ。それ以外に「先生」はいない。
ラクなのでその呼び名を使うことはあっても、自分の持っている「先生像」にはかすりもしない。

畏敬の念を込めて、心底「先生」と言える存在を失って四年。
頼れる人がこの世から消えて、心のよりどころが無くなった。

別に年賀状くらいしかやりとりはしていないし、実年齢も知らなかったくらいの間柄。
ようは一方的な、ある意味「信仰」みたいなものか。
本当に困ったときに頼りたい、迷ったときに指針を示してもらいたい、いいことがあったら報告したい等々。
十代の頃は、雑誌に自分の絵が載ったときにそれを知らせたりしていた。
二十代に一度だけあったことがある。
結婚式の主賓を頼んだものの、ギリギリまで調整してくれたのだが当時校長先生という役職からどうしても参列してもらえず、とても切なかった。

虫の知らせもなかった。
四年前の日記には、他愛のない日常が記されているのみ。
その事実を知ったのは、翌年の新年。

見えない支えがこの世にいなくなった事実に、親族やペット以外であんなに悲しんだことはない。
放心状態とはこういうことを言うのか。
葬式にも出られず、焼香も上げられなかった。

先生の奥様に墓地の場所を聞いて、すぐに行った。
そのときはまだ碑名がなく、実感がわかなかった。

その後、春分の日近くの彼岸の季節に再度、多摩霊園を訪れた。
そこで名前を見つけて、「なんでこんなところにいるんですか?」と怒った。

一生のうち「先生」に出会えたことは、本当にしあわせだったと思う。
それが会社の社長や先輩だったら、また違うんだろうな。
残念ながらそっちはない…。

今日もつつがなく過ごせました。
涼しくなったら、たまには顔見せに行きますよ。

<今日の判定> 保留
恩師の命日に△とか×とかつけたら、ぶっ飛ばされます。
それはどういう意味なのかちゃんと考えなさい、と。
【2009/08/26 23:40 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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