これもできる あれもできる
11/22(日) くもり(昼間から息が白い)

耳心地が良く、ながら聞きにはぴったりの「バニラビーンズ」。
別にperfumeに飽きたわけではなく、ピコピコ音がいささか気に障るバイオリズムもあるわけで。
しかも今回の不愉快をもたらした一件が、くだんの横浜アリーナperfumeライブだったから、気持ちが落ち着くまではしばらくお休み。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのごとく。
いや、実際perfumeの音楽性やライブは何も悪くなく、くだらない行間を読みすぎて幻影とガチバトルをはじめてしまった自身が悪い。
で、それはともかく「バニラビーンズ」がレトロポップを主軸にしているらしい。
ビジュアルイメージからして60年代ファッション。

ピコピコ音でやはり聞くようになったYMCKはチップチューンというファミコン音源。

これは単にレトロ回帰ではなく、表現の幅としてそれを取り入れているにすぎないのが面白いところ。
当時は「それしかできなかった」から、工夫を凝らしてコナミやサン電子のようにCDでサントラが出るくらいにがんばりすぎている名曲が生まれたが、YMCKは「あえてチープな初期ファミコン風」にしている。
今やシンセ音源なんて、生音なのか打ち込みなのかわからないくらいに進化しているというのに。

これはCGでも同じことが言える。
ハイエンドでフォトリアリズムな3Dが素人でも手が届く機材で作れるようになったというのに、なぜかファミコンチックなものが出てきている。いわば、自分にとって主戦場のドット絵なんかがその最たる例だ。
当時は「それしかできなかった」が、今は「そのやり方もある」で、形を表すための表現手法としての選択肢が多岐にわたる。
見た目や音がきれいなだけで「スゴイ!」といわれていた時代は終わり、ようは上っ面のテクニックにおぼれたものではない「それと使うことで表現する」一本筋が通ったものが必要であると。

選択の幅はなにも表現の場だけではなく、人間関係にも言える。

今日、就職以来会っていなかった元塾生さんを交えてお好み焼きを食べにいった。
うちにいた期間はむしろ短い部類であるのに、妙な親近感がある。
一人でもそうだが、ここに他のメンツの要素が加わることで化学反応して、なんとも絶妙な居心地の良さを醸し出してくれる。

具体的に言えば、それぞれ抱えるストレスを順番に吐き出しスッキリするアプローチには、やはりアルコールの力が欠かせない。しらふじゃ、そんな生臭い世知辛い話は長時間聞いていられないし、第一話したところで何も解決しないという揺るがしがたい事実。もちろん誰かに話すことは重要で、それで充分な発散になるのもまた事実。
しかしだ。
このメンツが集まると、グチらしいグチはでない。
腹を割って話せないから、ではない。
目の前に焼かれているお好み焼きやもんじゃ焼きをながめながら、実に他愛もないやりとりをしている。
虎視眈々とボケを狙うようはカツカツさはない。
自然な流れで話題が出て、笑いあい、それが続いていく。
下ネタも政治経済なネタも御法度というわけではないのに、なぜかしない。
シビアな話は避けているわけではなく、無理におもしろい話を探すわけでもない。
振り返ると「あれ、何を話していたんだっけ?」と内容は覚えていないが、たしかなのはとても居心地が良く楽しかったという記憶。
それぞれのグチを吐き出しスッキリした方がいいはずなのに、それを出さないのに妙にスッキリしている。
酒は一滴も呑まず、しかし帰りの足取りはとにかく軽い。

不思議な縁だと思う。
偶然が偶然を呼び、たまたま居合わせたメンツにより化学反応を起こした結果がこれ。
企画組にも似たようなことが言えるので、その場を提供でき共有できたことが、自身の存在価値だなと思う。

そしてつい先日縁の切れた連中を「あれ、なんでそんなに必死につなぎ止めておこうとしたんだろう」と思えるようになってしまった。
「せっかく出会ったんだから、つないでおかないとダメ」と思いこみ自身をそして相手をも縛り付けていたに過ぎなかったと。

ほっときゃいいんだよ。
同じ場、空気、過去を共有していたとしても、お互いが必要とするなら、時間を越えてあっさりと再会のときを楽しめる。しんどいときに手をさしのべるし、そいつのしあわせ、成功を我がものとして喜ぶことができる。
「ねたましい」「くやしい」「何でアイツだけ」とか思うようになったら、少なくともわたしはダメだ。

信頼とか信用とかそんなんじゃなく「自分が気持ちよく動けるか」だな、と今さら気付いた。


<今日の判定> ◎
来年の大新年会のために尽力してくれている連中がいる。本当にありがたくて、泣きそう(突然のメールで「た、頼む!」の一言だけなのに…)。しかもアイディアまで出してくれて、ここに来てようやく「こうすればうまくまわるのではないか?」とフォーマットが見えてきた気がした。
「手を貸してくれないか」と頼んだら「あいよ!」と腰を上げてくれる連中がまわりにいるだけで、きっとわたしは幸せ者だと思う。
いや、間違いなく幸せ者だ。
わたしは、そんなみんなに何を返せばいいのだろう。
【2009/11/23 01:03 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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