11/24(火) くもり一時雨(また寒くなった)
忘れられない記憶がある。
幼稚園時代、わたしは空をムラサキ色に塗った。
なぜその色にしたのかはわからない。
覚えているわけがないし、第一幼稚園児の考えることはときおり常軌を逸することがある。
おそらくそのたぐいだろう。
しかし年配の女の先生に「ムラサキは不吉な色だから、白く塗りつぶしなさい!」と完全否定された。自意識なぞ目覚めるはるか前ゆえ、言われたとおりに白をかぶせていく。
水彩絵の具は下地を完全に隠蔽できるものではないため、ますますおかしなものになってしまった記憶。
たぶん青をさらに塗ったため恐ろしく濁った、筆洗いのバケツの水の様相だったと思う。
先日、何気なくつけていたラジオで、やはり小さな頃に自分で塗った色に対して頭ごなしに塗り直しを命じられたはがきが読まれていた。
いわゆる才能ってのは、だれにもそれなりに最初は平等にあるのではないかと思う。
見よう見まねで何かを覚えていくわけで、何も見ないで知らないでいきなりできるのは、もはや才能というより超能力だろう。
そしてその才能に気付き、開花させるべく導いてくれる存在に出会えたか否か。
それは両親であったり、先生であったり、近所の人だったり。
残念ながら、わたしを導く人はいなかった。
両親は絵心が全くないし、芸術系には一切関心がない。
出会った先生たちも残念ながらそっち方面ではなかった。
習い事教室にもいかなかった。
専門教育を受けるという選択肢を考えもしなかった。
幼稚園児時代の自分の絵を数年前、母から見せてもらった。
小学校に上がる前に描かれたニワトリには、キチンと羽根の模様が、蹴爪がつたない筆で再現されていた。
もう一枚は亀。
なぜか横向き(やや俯瞰気味)で亀甲模様や手足のウロコを再現してあった。
どうやらみたままを描くという習性があったようだ。
たぶんウルトラマンなど怪獣ものが好きだったため、なるべく似せて描きたくて、それが図工の時間に出ただけに過ぎない。
ただ自身で思うのは、子供の構図じゃないという驚き。
もっとも、それを褒められた記憶はない。
導いてくれる人物と出会えなかったことは、今思うと実に残念でならない。
しかし師事すべき人物と出会えなかったことは不幸なのだろうか?
いやいや。
案外、美大受験で何度も失敗しておかしくなっていたんじゃないかな?と思ったりするシニカルな自分がいる。
ifの方がよさそうと思ってもそれは完全に架空の想像で、しかもプラスイメージのバイアスがかかりまくっているから、考えても仕方ない。
自分は出会えなかったからこそ、自身は導く側に立ちたい。
「おまえさんはけっこうイケるんじゃないか?」と助言するだけで、当の本人は気付いていない能力が開花するかもしれないから。
<今日の判定> △
三十有余年を経てムラサキ色の空を描いたよ、今やっているモバイルゲームに。
今度も「いや、これはマズイです」と言われなきゃいいが…。