キレイな景色、汚い光景
1/5(火) 晴れ(夜半に雨)

キレイなもの美しいものは、それに出会った瞬間の感動、感激は大きいものの、ずっと浸っていることはまず無い。
しかし汚い光景、見たくない場面は、意識して排除しない限り、いつまでも網膜に焼き付いて離れない。

これはなにも目からの情報だけではない。
うれしい事象では、腹立たしい事象をカバーしきれない。
それはうれしさよりも腹立たしさの方が、強い印象を残すため。
なにかで聞いたのだけど、笑顔を作る筋肉はほんのわずかなのに比べ、しかめっ面はそうとうな部位を動かしているそうだ。
すなわち、怒り、不愉快の方がエネルギーを消費することに他ならない。
ゆえに印象が残るのか。
たのしいことよりも。

気の置けない連中と過ごす時間はあっという間に過ぎるのに対し、居心地悪い場面での時計の針の進みは恐ろしく遅い。

人によって個体差はあるだろうが、自分の場合どうしても汚い、不愉快なものに目を向けがちである。
そして当たり前のように気分を害する。
不愉快に思った感じたところで、ストレス以外なにも生産性など無いのに。

例えば、季節柄のネタで言うところの年賀状。
五十通から投函している。
そのうち元日に届いた分は半数ちょい。
両面印刷の超量産型だろうがガキの写真メインだろうが、元日に到着させるにはそれなりの準備期間と早めの投函が必須。
この元日に届くメンバーは、ほとんど固定。
すなわち「見慣れてしまった」美しい景色なわけ。
一筆にちょっとした近況が書かれている遠方の御仁や、しあわせ満喫の家族写真やら、新婚で目尻下がりっぱなしとか、見た瞬間とてもうれしい気分になる。
そこで感情が止まってくれれば、うれしたのしの正月になるのだ。

しかし難儀なもので、そもそも帰還率の低い面々に出したもの、ようは残りの半数が気になってしまう。
見たくない部位がどうしても目に入るわけ。

うれしい気分はたちまち薄れ、追い打ちをかけるようによかれと思った電子メールでの返事が届く。
「返事があるだけマシ」であるにもかかわらず、だ。

ちなみに手紙の返事が電子メールで帰ってきて「うれしい」と感じたことは、一度たりとも無い。
「手軽に済ませたな」としか感じ取れないから。
文字を打つのも書くのも頭を使うわけだし、大差ないはずなのに、わたしはかくのごとく捉えてしまう。

さらに目上の自分から出しているのに返事がないケースに至っては、単なる「古くからの因習の押しつけ」であるにもかかわらず、「こいつには礼節すらないのか」と勝手に憤慨する始末。

ようするに手前勝手に怒っているだけ。
受け取る側とすれば「今時、年賀状は古いよ」で「電子メールでいいじゃん」なのだ。
礼節を重んじろ!という価値観の押しつけに過ぎない。

くだんの全面印刷にせよガキの写真にせよ、送る側としてみたら様々な事情もあるわけで、少なくともよかれと思っているに違いない。
妻帯者がすべて妻任せ(いくら達筆だからといって宛先を書かせて、裏面は印刷ってのはいささか閉口するのだけど)だろうとも、それはその家庭の出来上がった流れであるから、そこに対して「いや、それはどうかと思うよ」と感じるのが、そもそも間違いである。

そう、この感情、すべてが間違いなんだ。

イチイチくだらない見なくていいものを見て「あーむかつく」と不愉快指数を上昇させる、これこそもっとも不要で、他人様にとって一大迷惑なもの。


仕事始めの徒歩通勤でそこに至るに付き、久しぶりに自分の内側にある思いが満たされた。
「あぁ、おれって礼節とか堅苦しい狭義な正論かますだけの鬱陶しいやつだわ。むしろいない方が、よけいな気を遣わせないからいいんじゃね?」

いやだいやだ。
もういやだ。

エヴァのシンジくんを見ていてイライラするのは、近親憎悪だから。
【2010/01/05 21:55 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
<< | ホーム | いらいらいらいら>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://maruzoo.blog19.fc2.com/tb.php/1554-240da467
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |