駄作が生まれるは必然
7/12(月) 雨のち曇り(雨降るわ、風強いわ)

映画とかゲームとか、多くのスタッフがかかわるものに、時折目を覆いたくなるようなダメ作品がある。
音楽やマンガ、小説のように、たんに作り手の方向性に合わないだけなら納得も行くが、多くの人間がかかわっているにもかかわらず「どうしてこうなった」的になるのは解せないと思っていた。
しかしながら、むしろ著名人や力を持っている人間を抱えるがゆえにそうなってしまうのだろうと、最近は考える。

例えば、先日見た「踊る3」。
テレビシリーズとメインとなるスタッフはほぼ同じなはず。
脚本家も監督も主演も。
それなのにつまらない。ギャグが滑るし、ホントにこれでいいと思って作ったのかよ?と疑いたくなる。
前の二作が100億越えのプレッシャーがあったとはいえ、フジテレビ肝いりで製作されているはずなのに。

いやいや、前の作品を超えられない二作目というのは、世の中にごろごろある。
成功しているのは、監督が変わるか、アプローチ方法が変わるか、なにかが劇的に変わっているケースが多い。
T2に関してはスケールアップされて傑作として名高いが、僕個人としてはやはり前作の方がスリリングで楽しかったし、好きだ。
ターミネーターはゲームに似ていると思う。前作であたったから予算もそれなりに取れるし、気になるところをブラッシュアップし、さらに新しい仕掛けを入れてやろう、と。

ナンバリングタイトルには、マンネリと変えてはいけない前作との共有部分の見極めが、とにかく難しい。
変化のないことで安心する半面、やっぱりお話が変わるだけではいささか物足りないのも必定。

会議の席上でいくどとなく案が練られて、役者を交えて演技プランができあがり、最終的に編集を経て完成する。
それなのにつまらないのはなぜ?
前作がおもしろかったのにどうして??

がんじがらめのしがらみと制約とごり押しに押しつぶされた結果の残骸。
誰しもが「これはいい」と思って意見するが、それが本当にその作品にとって必要なのか、やりすぎなのか、はたまたその部分だけ取ればよくても全体を見ると違和感があるかをジャッジするのは、やはり監督だと思うわけで。
しかしカネがらみの実権を持っているプロデューサーのごり押しにはかなわず、実力派として結果的にわがままな演技プランを出してくる役者を制御できず、脚本に問題があっても直すこともままならずでは、そりゃあ完成品はチグハグで箸にも棒にもかからないものになってしまう。

僕は映画産業を経験していないので、上記の記述はあくまでも想像の域を出ないし、ただの邪推にすぎない。
しかし同じような多人数型の制作スタイルを取るゲームは経験しているので、そこに照らし合わせてみると同じようなことが言える。
誰しもがクソゲーを好きこのんで作るとは思えない。
ディベロッパーの下請け経営者は完成すればカネが降りてくるので、その部分だけをとにかく死守する。
現場は少しでも完成度を上げたいが、ここでデザイナー、プログラマーがおのおのよかれと思って作業を「勝手に」すすめると、最終的にはまとまりに欠く駄作のできあがりとなる。
困ったことに誰しもが「よかれと思ってる」点であり、つまるところコンセンサスを取れなかったまとめ役がA級戦犯となる。

僕はデビュー作の時、当時の上司に「よかれと思って」やったことをこっぴどく叱られた経験がある。
当時は叱られた不快さが先行していたけど、後日冷静になると「いちいち言い分ごもっとも(武家用語)」であることに気付き、今となってはもしあのときストップをかけられなかったらどうなっていたかと、考えただけでも薄ら寒い。

もしそれが名の知れたデザイナーだったら、脚本家だったら。
おそらく先方は折れてくれはすまい。

実際、期間が厳しいので舞台を広げすぎないでほしいとお願いしたにもかかわらずてんで聞き入れてもらえず、結果的に自分でシナリオを書くことになってしまった例もある。もちろん説得できなかったのは、いくら時間がなかったこととはいえ、やってはいけない行為なのだけど…。

ただ一方では、すばらしい作品に仕上がっているものもあるこの現実。
監督一人の手腕によるところ、で片付けられるのだろうか?とも、やっぱり思ってしまう。
【2010/07/12 21:38 】 | たわいもない日記 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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