純と愛を半年見続けて
3/30(土) くもり(日中8度とか)

今日はNHK朝ドラ「純と愛」の最終回。
さてどのようにまとめてくれるかと、普段は土曜のBSまとめ見なんだけど、今週はリアルタイムで毎朝見ていた。
印象的にはどうあっても後数回で終わるように思えない展開。
視聴率40%をとったという「家政婦のミタ」を手がけた遊川和彦のお手並み拝見と。
脳腫瘍(しかも完治してない)で目覚めないいとしくんが、最後に目が覚めるか、それとも死んでしまうか。はたまた夢オチか。
素人考えなら、おさめ方は「ドラマは終わってその先にはツライ現実だけど、とりあえず王道として半年の締めくくりを気持ちよく終わらせる」意味を込めて、タイトルバックにもなっている眠り姫になぞって、最後目を覚ますか、もしくは醒めるのかな?をにおわせて終わらせるか。

そして朝ドラの定説をぶち壊すという脚本家の出した答えは現状維持だった。
そう、何も起きず、何も変わらず。
しかも尺が余ったのか13分には終わってしまい、タイトル曲でもない劇中曲でしめるというもの。

現実はそんなにファンタジーじゃない。
どんなに願っても奇跡は起きない。
それでも生きていかなければならない。

そういった意味で突き放したラストといえば聞こえはいいが、正直最終話途中の崖での長い長いモノローグがあまりに浅くて閉口。

聞けば、脚本家が現場に出向き演出していたそうで。
40%という視聴率をとってしまうと、人間かくのごとく浅ましさ全開になるのかというよい見本か。

脚本はあくまで設計図にすぎないし、それを役者や演出家(監督)、カメラマン、編集が映像として昇華していくものだし、そんなに演出したいのならそっちに転向すべき。
そういった暴挙を止められなかった現場というのもそもそも問題で、プロデューサーの顔色伺う必要のないであろうNHKでこれでは、もはや遊川和彦を止められる人はいないのだろうね。

思うに、一時間ドラマなら傑作がかけても、15分x6本でドラマを組み立てなければいけない朝ドラは新聞連載の小説に似て、そうとうに難易度が高いはず。
ようは毎日それなりの山場が必要(15分)で、さらに週全体を通した起承転結も当然必要。
一本にすれば90分のドラマとも言えるが、細かく分けられているからそうはいかない。

それを感じたのが、前半のオオサキホテル編から里や編、宮古島編の都合三編からなる手法で、それぞれがまったく絡んでこないため(主人公だけ)、まるで別クールのドラマを見ているような錯覚に陥る。

そして伏線が伏線として機能せず(そもそも伏線だったのかも定かではない)、その場しのぎのセンセーショナルなシークエンスばかりで、場当たり的なエピソードの印象を強める。
ドラマなので最低限のリアリティで充分でご都合主義はいっこうにかまわないのだけど、そもそも面接しているさなかに面接官がケータイをいじっているのはよほどの意味があるのだろうと思ったら、ただのキャラ付けに過ぎなかったり、里やの火事の元凶となったカップルも投げっぱなしで救いがない等枚挙にいとまがない。

主人公の父親がなぜあそこまでつらく当たるのかわからないし、兄弟、とくに弟が救いようのないバカだったのに、なにか特別なエピソードもないまま、いきなり真人間になっていたり、もうキャラクターの清張を描くのに必要な部分は省略し、ただひたすた不幸の大安売りと救いのないエピソードばかり。

主人公が底抜けに明るくて、どんな逆境にもめげずがんばると言うのはある意味王道だし、それは別にかまわない。「ポリアンナ物語」の主人公ポリアンナなんか少女だったこともあるけど、屈託のない笑顔でいつの間にかまわりを明るくしてしまう(本人がとにかくめげない)。あの話もけっこうしんどいエピソード満載だったけど、不快な思いはしなかった。

ところが本作の主人公純は、いちいち落ち込み、拒絶し、かたくなに閉ざし、些細な出来事で前に進もうと立ち上がるの繰り返し。
いや、ドラマツルギーとして正解だけど、これがいくら何でも大きすぎる障害がことあるごとに降りかかり、ひいた視線でみるとちっとも救われていないというのがマズイ。

関わったホテルがみな不幸に見舞われる。親が死ぬ。母親が痴呆。伴侶が寝たきりになる(しかも目覚めたとしても余命はさほど無い)。
もはや不幸の全のせ状態。
それでもめげずに明るさを失わないのならむしろ潔いが、前述のように躓き、落ち込むからやっかいだ。
周りの人間も味方のふりして無責任に思想を押しつけているだけ。

半年という長い時間を使っているのに、キャラクターがスイッチでも入ったように変わるのも大問題。
特にいとしの母は、あれだけ毛嫌いしていた純をどうやって認めたのか。
まさか雨乞いか。
細かい描写の積み重ねで描く時間もあったのに、すべてのキャラが突然変わる。
父親は最後までダメ人間だったのにいまわの際だけいい人になるし、すべてが中途半端だった。

好きな役者が演じているので、ある意味ガマンしてみていたけど、無意味な半年となってしまった。

救いのないラストでも傑作ドラマや映画はある。
でも「そうなってしまった」のにはわけがあり、そこには主人公の選択があるからこその救いの無さで、たんに不幸のつるべ落としとは違う。

やりきれないラストで有名な「ミスト」は言うに及ばず、先日ケーブルテレビで見た「世界大戦争」という昭和の特撮映画では、軍部の人間と対をなす市井の民がいるのだけど、ラスト核戦争が起きてしまい市民はただただ無力に核の炎で焼かれるのを待つだけという、あまりに無常な場面がある。
個人の力ではどうにもならないことはあるし、立ち向かってもどうにもならないことばかりだ。
家族で最後の晩餐(確かすき焼きか何か食べていた)をとるシーンは特に胸を打った。
なにげない日常が、自分たちのうかがい知れないところで打ち消されてしまう怖さ。
そこにはなんの希望もない。

純と愛も根幹では同じなのだろうけど、決定的に違うのは不幸エピソードがとにかく浅いこと。
たった一撃の台風で全壊に等しい被害を被るホテルとか、痴呆の母と植物人間の伴侶を抱えてホテル再建できるわけ無いのに、かつての仲間は「オマエならできる」となんの援助もしないくせにエールを贈るだけ。
いや、天性の明るさとバイタリティを持つスーパー主人公なら「これくらいでめげないよ」はアリだけど(それでもいくらなんでもこの不幸コンボではリアリティがなさ過ぎる)。
最終週がとりわけひどかったけど、毎度毎度立ち直るきっかけがひたすら安っぽい。
さんざん拒絶していて、ちょっとした一言で復活って、それは復活の呪文か何かですかい。

もっとも腹立たしかったのが、公式で予防線を張っていること。
「賛否両論あると思いますが」と書くのはかっこ悪すぎる。
これが俺たちの答えだ!とウソでもいいから自信を持って書いてほしいもの。

少なくともあのラストで僕は希望を見いだせなかった。
予定調和だろうがなんだろうが、朝ドラを見るような視聴者層には、最後にいとしくんが目を覚まし、一言なにかしゃべるべきだっただろうに。

テーマ:NHK:朝の連ドラ - ジャンル:テレビ・ラジオ

【2013/03/31 00:42 】 | ドラマとかテレビとか | コメント(0) | トラックバック(0) |
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